対人恐怖にもいろいろな種類や感じ方があると思います。

しかしそれらすべてに共通しているのは、「常に人から見られているのではないか」「うまくやらなければいけないのではないか」という観念だと思います。そこには「人から認めてもらいたい」という気持ちが作用しているのではないでしょうか。

おそらく子供のころから親に「○○ちゃんはできるのにあなたは・・・」と比べられたり、「できて当然だ」という態度をとられたり、スキンシップが少なく、愛情不足で、悪く言えば「ないがしろにして育てられた」ような部分があったのではないでしょうか。親御さんの生活の上での不満などばかり聞かされて育った場合も同様です。

そのようなことが積み重なると、子供のころはむしろ活発でおちゃらけるなど、自分に注意をむけさせ、愛されようとふるまってしまうことがあります。しかし、思春期をすぎるころから、積み重ねられた自信のなさや自分が認められていないという心の空虚感から、人を信用せず、まず自分自身が人から愛されるためにうまく振舞わねばということばかりに気をとられがちです。

そのような方は得てしてまじめですので、一生懸命に直そうとしたり努力しますがそれが却って自分を追い詰め、結果的に多汗症であったり対人恐怖であったり、あがり症になっているようです。


また時々みられる傾向としては間逆の振る舞い、つまり自分を認めない相手を攻撃したり非難したりして、自分の振る舞いがあたかも正当であり認められるべきものだということを強く主張します。

対人恐怖だからといって萎縮し、ひっこんでいるばかりとは限らないのです。気に入られようとしすぎるあまり、気に入られなかったときの失望感を避けるごとく逆に嫌われるような行動をすることもあるのではないでしょうか。


改善策としては、
まず、信頼のできる人をみつけること。
これは家族でも友人でもかまいません。何でも話せる人。親は難しいかもしれません。 友人や恋人、他人の方が冷静でいいようです。 自分のそのような症状を話しても遠ざかったりせず、受け入れてくれる人。その人に話をすることです。その人はあなたを認め、理解し、許してくれる大事な人ですから、その人の言う ことを素直に受け入れることです。

次に、他人はそれほどあなたに興味がないということを残念ながら認めることです。対人恐怖の方は「よくみられたい」「認められたい」という思いが強く、同時に他人はあなたの失敗に敏感だと思い込んでいるようなところがあります。
それはちがいます。
人は失敗してもいいのです。自分にとって人生を左右するような場面での失敗以外人は案外他人の失敗にも無関心です。また他人というのは、初めて会った他人に対して案外ニュートラルな感情や印象しか持たないものです。失敗しても気にする必要はありません。人はあなたの震えや汗、緊張でこわばった様子を初々しく思ったり、まじめな人だと好感をもつことすらあるのです。
つまり、何も気にしなくてもいいのです。

失敗したときは「やっちゃった、やばいなぁ」くらいにちゃらんぽらんでもいいのです。

それらが簡単にできれば苦労しないと思っていませんか?
自分の心はコントロール不可能だと決め付けていませんか?
心は自分のものですから、自分にできないことを他人ができるはずもないのです。あたかも他人が変えたように見えることもありますが、それはきっかけにすぎず、あくまでもきっかけを元に「あなた自身が変える」ということです。

そして次に必要なのは、少し面倒かもしれませんが、自分の自信を取り戻すことです。紙に、自分が得意とすること、できると思うこと、ひとよりうまくできていると思うことは些細なことでも書き出してみてください。また、最初に言った信頼のできる人にも同じことを質問し、あなたについて書いてもらうことです。紙は常に持ち歩いたり、見えるところに置き、自分の長所を意識するようにしてください。これは自分で書いたものより、信頼のおける他人が書いたものの方が効果があります。
同時に、問題点も書き出し、分析することです。

それらのなかで、自分の問題を漠然とした恐怖感ではなく、はっきりした問題意識としてとらえてください。またあなたは他人の失敗や緊張をみたとき、どう思いますか?
自分と同じだと安心しますか?みっともないと心の中で笑いますか?心の中でがんばれと応援しますか?
もしも温かい目でみれるなら、あなたはきっと改善します。
他人もあなたをそうみているということです。

みっともないと思っているなら、なぜみっともないのか、みっともないことはなぜいけないのか
考えて見てください